こんにちはYUKAです。
木下雄介投手のご冥福をお祈りいたします。7月6日の練習中に息苦しさを訴え緊急搬送され8月3日に亡くなったそうです。
今回は中日ドラゴンズの木下雄介投手の生い立ちが壮絶すぎるのでご紹介をさせていただきます。
木下雄介投手の生い立ち(経歴)が壮絶すぎた
まずは簡単にどんなことがあったかまとめました。
では一つ一つ見ていきましょう。
大学中退
高校は生光学園高等学校で甲子園を目指すも徳島商業高等学校に敗れ甲子園出場はならず。
翌年駒澤大学に入学し野球部に入部するもたった4カ月で中退
理由は肘の怪我とあるがもう一つ大きな理由がありそれは家族にとってかけがえのない人を交通事故で亡くしたそのショックが大きいのも原因だったそうです。
ヤンキー→フリーター
駒澤大学を中退し東京から大阪へ戻り日雇いアルバイトやジムインストラクターなどをしてフリーター生活を送るようなり金髪ピアスの風貌となり完全に野球人生から離れた感じに。
そして2014年に不動産会社の営業職に就くことになります。
そんなある日、高校野球の仲間から軟式草野球への助っ人として駆り出され投げてみたところ周囲が驚くほどの剛速球を連発!
肘もいたくない!そして当時付き合っていた彼女(現在は奥様)がその投げっぷりに感動し「もう一度本気で野球をやってみたら?あんたはプロ野球選手になるべきなんや!」と背中を押されサラリーマンをやめたそうです。
独立リーグ
軟式草野球の帰りになんとなくFacebookを見ていたら高校時代に四国選抜のとき一緒にハワイ遠征をした増田大輝選手(現:読売ジャイアンツ)が四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで活躍されているの見てそのチームが選手募集をしていることを知り入団
ただブランクが長かったため正規のプレイヤーではなく雑用なども受け持つ練習生として給料もゼロからの野球人生再スタートだったそうです。
単身大阪から徳島へ渡り野球漬けの毎日で必死にブランクを埋めようと腕を振り続けていましたがやはりブランクの壁は厚くそう簡単にはプロ野球選手へとはなりません。
そんな中、練習に行き詰まりパチンコに逃げていた時期もあったそうです。
その頃にサボっているところを彼女(今の奥様)に大激怒され泣きながら「徳島まで来て何やってるの!?」という言葉に木下雄介投手の本気の覚悟ができまるで別人のように変わり練習生時代は球速128キロだったのが150キロのストレートにまで復活をされたそうです。
約2年でこの球速の伸びは異常なほどなのです!高校生が3年かけてやっと成し遂げられるかという数字なので木下雄介投手のポテンシャルの高さが伺えますね。
16年中日ドラゴンズ育成→18年支配下登録→一軍デビュー
ある試合の日にチームのエースが危険球退場をし緊急登板でマウンドに上がることになった。
この日は球団スカウトの人達が見に来ている試合だったのでこれはチャンスとに150キロのストレートを投げ込み猛アピール!
そして見事2016年の育成ドラフト1で中日ドラゴンズに入団することとなりました。
18年には育成選手で唯一、一軍キャンプに帯同されています。
そしてオープン戦4試案登板し5回1失点という内容を評価されて2018年3月23日に支配下登録選手となり同じ年の4月15日に一軍マウンドデビューをされています。
19年に交通事故で父親を亡くす→20年に一軍キャンプで左足首の大怪我
2軍でのレギュラーシーズン中に父親の突然の死があった。
死亡原因は仕事中の事故で何の落ち度もなかったそうです。
その突然の訃報に関係者は木下雄介投手にすぐに帰るように促したが「父は大切な存在。でも、今の自分は、守るべき妻と子供のために、一軍昇格へアピールの場を逃すことはできません」と公式戦登板後に大阪へ向かったそうです。
その後、葬儀を終えて名古屋へ戻った直後に一軍へ昇格し5試合に登板。そして155キロ越えの切れのあるストレートを武器に守護神候補として一軍キャンプに帯同。
キャンプでも結果を残しレギュラーシーズンへの総仕上げとして臨んだ一戦でまさかの左足首の大怪我
同じ年9月5日には一軍のマウンドに帰ってきてプロ初のセーブを挙げています。
21年一軍のオープン戦右腕亜脱臼→リハビリを経て練習中に緊急搬送
開幕一軍濃厚でそのオープン戦最終日3月21日の日本ハム戦に仕上げの登板。
渾身の快速球を投げ終えた瞬間に突然「パチン」と球場中に鳴り響いたそう。木下雄介投手の肩関節が外れた音だったそう。右腕の亜脱臼。
開幕一軍は絶望の中4月9日にトミー・ジョン手術を受けた。
一度外れた関節はまた何かの拍子で外れる可能性があるため木下雄介投手は手術を受けたそうです。
その後リハビリも順調に進んでいた矢先7月6日の練習中に心肺停止で緊急搬送。
8月3日に亡くなった。
まとめ
木下雄介投手が夢に向かって常に前を見てチャレンジし続け、これからも先ずっと家族と一緒に歩んでいくはずだった人生が突然終わりを迎えてしまったことがほんとうに残念で仕方がないです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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